感覚に対する私の考え
*この記事は私の学んでいる内容を反映させ、不定期に更新します*
このブログには、私が体験したことを元に私の考えを書いていますが、記事の多くに、いわゆる目に見えない、非物質的な「感じること」について書いています。
以前はスピリチュアルな世界というのは不思議な目に見えないものを扱う世界の話と捉えていた私ですが、自分のからだが目に見える部分と目に見えない部分から成り立っていると実感する体験を何回もしたこと、その体感を知った後も日々身体(目に見える部分)を使って過ごしていることに変わりはないと気付いたことから、スピリチュアリティというのは特別な世界やシチュエーションではなく、日常の中に当たり前のようにあること、と捉えるようになりました。
たとえばなんとなくその場の雰囲気を感じるという時。人間の身体には雰囲気を感じ取る器官は特にないけど、「感じる」という時など。
さらには、目に見える物は、目に見えない物があるから目に見える物と認識できるのだと思います。様々な事は、相反する2つの物が同時に存在していて、でも同時に存在している1セットになった状態はあまりにも身近にあり、一見1つのように見えるのでそれぞれを分けて考えてみる事は普段はあまりしない事かもしれません。
私はあるきっかけを元にこれらの「感じていること」がセットになっていると気付いた時から、この事は自分の演奏や生徒さん達に伝えていく中でとても重要な事で、見える領域と見えない領域を両方感じていることに気付いた上で音を鳴らすことがより自分らしい音楽を演奏することに繋がっていると感じています。
最近では、目に見えるものと関わる時に様々な法則や方程式があるのと同時に、目に見えないものにも同様に法則や方程式のようなものがあるのではないかと思っています。
それは科学的に証明できる「法則」というよりも、それぞれの人が内側で感じているものを説明するために共通の表現として存在するもので、その「法則」と呼ばれるものとそれが「その人にとって何であるか」を響き合わせセットにしていくこと。
そして、この気付きは音叉のセッションでも身体と心という両方の調整、受けて下さった方自身に整う調整をするのに役立っています。
目に見えないけど「感じている」ということは、とても身近に、そしてとてもシンプルに存在する物として私は捉えています。
そのことに気付いている事はすでにあるあなたという表現からさらに自分が本当にやりたいこととしての表現をしていくこと、より自分らしい人生を生きていくことに繋がっていくと思います。
所々、「感覚」という言葉で表現していることがありますが、目に見えない領域のものを「感じる」を可能にしている媒体を通して「感覚」という捉え方をしてそう書いています。
お読み下さりありがとうございました(*^_^*)
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