解除とセットで存在するもの
前回の記事では解除するということについて書いたのですが、「解除」が起きる、もしくは起こされるということはそこに自分にとっての「解除されるべきもの」が存在した上で可能な事だと私は考えます。
私がここ数年間触れてきたことから得た様々な気付きにこの考えを当てはめてみると、ピアノを弾いている時の違和感、または日常の中での違和感はこの「解除されるべきもの」が原因だったのではないかと思うようになりました。
さらに、解除される、ということは封印されたものがあったから起きる、とも言えると思います。
以前の原始反射についての記事で、私自身も原始反射が残っていたことについて書きましたが、
私は自分の中で原始反射の統合が起きなかった、というよりも自分自身で原始反射を統合しないことを選んだのではないか、と考えています。
(これはあくまでも私の考えです)
今日もお読み下さりありがとうございました(*^_^*)
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